2026年9月
八月三十日から九月二日にわたり、日本聖公会第七十一(定期)総会が、東日本教区聖アンデレ主教座聖堂において開催されました。この期間中、関東大震災の犠牲者、また震災の混乱の中で虐殺された朝鮮人などの犠牲者を覚え、祈る機会がありました。
今から一〇三年前の一九二三年九月一日、関東大震災が発生しました。大規模な火災も発生し、死者・行方不明者は十万五千人を超えました。その混乱の中、「朝鮮人が放火している」、「井戸に毒を入れた」などの根拠のない流言が広がり、警察や行政当局もこれを一部事実として誤認し、警戒を呼びかけました。新聞などでも「朝鮮人暴動」などの誤った情報が報じられ、人びとの恐怖と敵意が高まりました。その結果、自警団や一部の警察官、軍関係者などによって、多くの朝鮮人や中国人が殺害され、朝鮮人と間違われた日本人(東北出身者など)も犠牲となりました。
この悲劇の背景には、植民地支配下で形成された民族差別意識や警戒感がありました。震災の混乱をきっかけに、すでにあった偏見や差別が暴力となって噴き出したのです。
この出来事は決して遠い過去のことではないと思います。先般、京極町の農業法人で起こった外国人労働者への虐待事件でも、異なる文化や民族的背景を持つ人びとを自分たちとは違う存在とみなすことから生じる問題があるように思います。偏見や思い込みによって相手をひとくくりにするとき、人間の尊厳を奪うことは、私たちの日常から遠いものではありません。
だからこそ、異なる民族、文化、言語、価値観、習慣を持つ方々との出会いを大切にしたいと思います。「キリストは私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を取り壊された」(エフェソ2・14)。違いを隔ての壁とするのではなく、その違いを越えて一人ひとりと出会い、ともに生きること。それは、教会に与えられた大いなる恵みであり、使命でもあります。
「九・一を忘れない」とは、過去を記憶することと同時に、今日、目の前にいる一人ひとりの尊厳を守ることから始まるように思います。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年8月
八月は、八月六日主イエス変容の日の広島原爆投下、八月九日の長崎原爆投下、さらに八月一五日主の母聖マリヤ日の終戦の日と、教会暦を辿りながらも忘れてはならない日があります。また、六月二三日に沖縄での日本軍の組織的戦闘が終わってからも尚、無辜のいのちが奪われ続けたことを覚えます。八月は、平和への希求、そしていのちのかけがえのなさについて、強く思わずにはいられない月です。
わたしたちはまず平和を思い描く時、平和の状態になるようにと祈り求めます。その平和とは、人間の求める平和以上の、神がもたらそうとしてくださっている平和です。世界中から戦争や分断や抑圧が無くなり、神が造られたすべての人の尊厳が大切にされる世界です。
その世界の実現のための小さな一歩として、尊厳をないがしろにされている身近な人びととの連帯を積み重ねていく行動が重要になります。連帯とは、力に依らず、対話によって共に生きる、人間と人間の関係性のことです。キリストがあらゆる境界線を越えて人びとと出会い、共に食べ、共に過ごし、人びとの困窮に応えていったお姿に倣っていくことです。わたしたちがその一歩を恐れなく歩みだすことができますように。
「36. 終戦記念日の祈り」
真理と平和の源である全能の神よ、御子は「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな、おびえるな」と諭されました。太平洋戦争の終戦記念日にあたり、戦争の痛みと悲しみが今もなお続いていることを覚えます。どうか、すべての痛みと悲しみにあなたが寄り添ってくださいますように。また「主の平和」が一人ひとりの心のうちから外へと広がり、わたしたちが平和と和解の器として歩み続けることができますように。救い主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン(祈祷書改正試用版諸祈祷より)
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年7月
六月初頭、東北教区と北海道教区の合同教役者会が弘前・十和田・大館で開催されました。「チーム北国」となって以来、毎年交互に互いの教区を訪れ、課題を共有し、交わりを深めてきました。今年は各教会・礼拝堂を訪問し、信徒の皆さまと出会う機会にも恵まれました。振り返ると、聖職たちとともに長い巡礼の旅をしたような、豊かな恵みの時でした。準備と温かいお迎えをしてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
話し合いでは、東北教区との宣教協働と教区再編を機会に、北海道教区でも改めて取り組むべき課題についても話題になりました。その一つが「トータル・ミニストリー(全員奉仕職)」です。
この考え方は、一九九四年の主教会教書「日本聖公会の現状および将来に関する主教会の見解」でも紹介されましたが、その源流は一九八八年ランベス会議決議第四五号にあります。教会の働きを聖職だけで担うのではなく、叙任された聖職を含め、すべての信徒がそれぞれの召命に応えて神の宣教に参与するという神学であり、実践です。
もちろん、これまでも北海道教区でその歩みがなかったわけではありません。しかし、この神学を改めて受け止めることによって、聖職の務めの重要性と専門性が再確認されるとともに、信徒一人ひとりの召命の大切さも改めて意識されます。
教会委員、信徒奉事者、礼拝奉仕者をはじめ、それぞれに与えられた賜物によって教会に仕えるすべての方々が、神の宣教のために召されています。他教区では、法規の範囲内で新たな役割を信徒に委ねる試みも始まっています。北海道教区においても、トータル・ミニストリーの可能性を積極的に受け止め、教会全体で神の宣教に参与する喜びをともに分かち合ってまいりましょう。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年6月
この一ヶ月の間に、弘前昇天教会宣教百三十周年記念、そして、ほぼ十年ぶりに開催された神戸教区婦人会大会 in 米子へお招きいただきました。この一ヶ月の間に、弘前昇天教会宣教百三十周年記念、そして、ほぼ十年ぶりに開催された神戸教区婦人会大会 in 米子へお招きいただきました。
弘前昇天教会は、わたしが幼少期を過ごした教会です。今回、五十年ぶりに再会できた方々もあり、また、すでに天に召された方々を含め、多くの人々とのつながりをあらためて覚える時となりました。教会とは建物だけではなく、人々の祈りと記憶によって受け継がれていくものなのだと、あらためて感じさせられました。長い年月、礼拝を守り、地域に根ざしながら歩み続けてこられた姿には、静かな重みがあり、新たな出会いの中に希望を見いだそうとする姿勢にも力づけられました。
一方、米子での婦人会大会では、別の力を見せていただきました。参加された皆さまは、婦人会の将来への不安や課題を率直に語り合いながらも、集うことへの意味を味わい、今できることを次につなげようとしておられました。寝食を共にしながら交わされた語らいの中に、神戸教区婦人会の信仰の粘り強さと底力を感じました。
弘前でも米子でも、わたしが強く心を動かされたのは、「続けよう」とする人々の姿でした。
教会を取り巻く状況は、どこでも容易ではありません。北海道教区の諸教会もまた、同じ課題の中にあります。人数の減少や高齢化、地域社会の変化の中で、先行きへの不安を覚えることも少なくありません。しかし、そのような中でも礼拝を守り、人を迎え、祈りを絶やさず、地域の課題を共にしながら福音を伝えようとしている方々がいます。教会は、そのような一人ひとりの献げものによって、その歴史をつないできました。
他教区を訪ねながら、なお心に浮かぶのは、北の大地で宣教に励んでくださっている信徒・聖職の皆さまのお顔です。わたしたちもまた、この北海道の地において、「つながる、つなげる、つながらさる」歩みを大切にしながら、宣教を続けてまいりましょう。そしてチーム北国として、二教区の連帯と協働をさらに深めてまいりたいと願っています。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年5月
北海道教区では、年に二度、主教巡回があります。春・夏の前期と秋・冬の後期に分かれ、往復の道すがら、被造世界の豊かさと雄大さに触れる時が与えられています。
そして季節は今、春真っ盛りです。ほぼ半年の凍てつく寒さや雪で閉ざされた季節があり、雪解けのぐちゃぐちゃでべちゃべちゃの季節があるからこそ、この春の暖かさや美しさ、何より「待ち望む」思いは一層深まります。
梅も桜も桃も一斉に花開きます。教区事務所や主教館の敷地では、水仙もチューリップもモクレンもボケもレンギョウも同時期に咲き、千紫万紅の眺めです。それぞれ異なる時に咲くはずの花々が一つの時に咲く姿は、まるで被造物の多様性が一つにまとめられているかのようです。
春たけなわの札幌ですが、巡回では峠を越えることがあるので、主教車の冬から夏のタイヤ交換は大型連休明けぐらいになります。いつも信徒さんが面倒を見てくださることに、心から感謝です。
実のところ、このタイヤ交換の時期が少しオーバーなのではと思っていました。しかし今年五月初旬の紋別聖マリヤ教会への往復では「冬タイヤで良かった」と実感することとなりました。もし一日ずれていたら、帰路で滝上の三十年ぶりという十センチの積雪に遭っていたかもしれません。主日前日の紋別の寒さといったら真冬ようで、車の中のブランケットを取り出して頭から巻いていた程です。エゾジカやヒグマも怖いですが、夏タイヤでの凍った路面も恐ろしい。お陰様で安心して運転することができました。
雪の前に帰ることができて良かったと本気で思うと同時に、北海道の自然の厳しさ、広大さに改めて驚き、道民の皆さんの知恵と見識からまた学んでいます。神様の造られたこの世界は奥深く、人間の思い通りにはならないのです。畏れと感謝をもって被造世界に向き合い、神の御業を見つめる大事さを北の大地が教えてくれます。
神様、この美しく、厳しいこの地で、信徒や聖職の皆さんと五年目を迎えています。主のお導きとお支えにただ感謝するばかりです。少しは道民らしくなっているでしょうか。まだまだだ、という声が聞こえてきそうです。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年4月
先日、洗礼を施す機会をいただきました。志願者は小学四年生と六年生の姉妹生です。少なくとも四年前から知っている二人の、緊張した様子と真剣なまなざしに、最終打ち合わせの段階で私は胸がいっぱいになります。ああ、この役をさせてくださって、神様本当にありがとうございます。しかも一人は体調を崩しているにもかかわらず、がんばって今日教会に来たというのです。心配したり、嬉しかったり。皆がこの二人のために心を動かされます。
洗礼式での誓約と諮問に対する応答は見事でした。恐らく、何度もお家で練習したのでしょう。祈祷書に時折目を落としつつも、司式者である私の目を見て、はっきりと応答します。「願います。」「神の助けによって受け入れます。」「神の助けによって努めます。」
この確かな応答に、会衆も大きく応えます。「(この人々が生涯この約束を守ることができるように)力を尽くして祈り、助けます!」子どもたちによって信仰共同体が励まされ、自分たちの使命を再確認する出来事でした。二人はしっかりと信仰告白し、教父母に教名を告げられ、洗礼の恵みに与り、新たに生まれたのでした。受洗後の誇らしげな二人の顔は忘れられません。
子どもたち、青年たちは、次の世代を担う世代では決してありません。世界中の子どもたち、青年たちは、そのままで、今教会に、今社会に、必要な存在です。子どもたちとの出会いは、大人たちに澄んだまなざしで世界を見つめることの大事さを思い出させてくれます。神の御前にありのままで立ち、寄り頼むことの誠実さ知らせてくれます。そのいのちや生涯が神に守られ、生き抜くことができますようにとひたすら願い祈ります。そして子どもたちに安心して継がせる世界の実現への責任を覚えたいと思います。
この二人ができるだけ早く初陪餐を迎え、ふさわしい折に堅信の恵みにさらに与っていく、その道程を主が守り導いてくださいますように。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年3月
悲痛なことに、アメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃が二月二十八日に開始され、数時間後にはイランも報復攻撃を行うに至り、暴力の連鎖は拡大しています。これを受け、同日、エルサレム・中東聖公会総裁主教ホサム・E・ナウム大主教の声明が発表されました。エルサレム・中東聖公会には、エルサレム、イラン、キプロス・湾岸、エジプト各教区が属しています。この声明を通して、全世界の教会に向け、三つの呼びかけがなされています。
第一に絶え間ない祈りへの参与です。この戦争の暴力に巻き込まれた無実の人々、ことに母たち、子どもたち、ご高齢の方々を神が守ってくださるように祈ることです。そしてアメリカ、イスラエル、イランの指導者たちのために、流血の無益さを悟り、世界的大惨事の淵から引き返すようにと祈ることです。
第二は、キリスト者が互いにキリストの愛の聖域を差し出すことです。聖職も信徒も慰めの灯台となり、キリストの平和を語り続けることが求められています。
第三は、キリスト者が「架け橋となる者」となることです。たとえ外交の道が閉ざされるように見える時にも、教会は和解という扉を開き続けるよう招かれています。
「今こそ、わたしたちのために祈ってほしい」とのナウム大主教の訴えは、爆撃の音が聞こえるただ中にある信徒・聖職へ思いを寄せつつ、恐れを乗り越えて平和のキリストに従おうとする切実な呼びかけです。この呼びかけに応えることは、パレスチナ、ミャンマー、ウクライナ、スーダンなど各地での力による支配の現実に対しても、一刻も早い暴力の終結と、愛による平和の再構築へとつながることでしょう。
「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和のために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。」(コロサイ三:一五)
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年2月
この冬、札幌近郊を襲った豪雪には幾度となく翻弄されました。主教巡回の帰途、通常二時間半で到着するはずのJR特急が、少しずつ動いては止まり、夜通し車内で過ごし、十五時間後の朝ようやく札幌駅に着いたこともありました。教区会館の玄関前に積み上がった背丈ほどの雪をよじ登って中に入ったこともあります。豪雪のたびに交通機関はほぼ麻痺し、近所へ歩いて行くことさえ難しく、遠方への移動は極めて困難になります。
温暖化による積雪量の増加、人手不足、安全確保の前提条件の変化などを考えると、北海道では一年のうち数か月、遠方への移動が今後さらに困難になることが予想されます。大自然の前にある限界を、否応なく突きつけられています。
こうした現実を思うとき、どうしても頭をよぎるのが、北海道電力泊原発三号機の再稼働が二〇二七年に向けて急ピッチで進められている事です。とりわけ冬に事故が起きた場合、安全に速やかに遠くへ避難する術をほとんど持っていません。
例えば札幌は泊原発から直線距離で約七十キロ。風向き次第では甚大な被害が及ぶ可能性があります。高さ一九メートルの防潮堤設置だけでは地震や放射能を防ぐことはできません。北海道の道路事情も幹線道路が限られており、陸路での避難が困難になれば、海路や空路に頼るという想定も現実味を欠きます。道民の相互扶助の温かさだけで乗り切れる事態ではないのです。
今年は東日本大震災から十五年を迎えます。多くの犠牲者と避難者、そして今も言葉にならない痛みと悲しみが、東北の大地に深く刻まれています。あの時わたしたちは、「もう原発はいらない」と確かに語ったはずです。東日本大震災で起こったこと、東京電力福島第一原発事故を決して忘れず、風化させてはならないのです。人間が神の造られたいのち、被造物全体を守る責任を果たすために、動かしてはいけないものがあります。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴
2026年1月
今年の宣教標語(一面御参照)と聖歌(『日本聖公会聖歌集』五三三番「主を愛そう心込めて」)が決まりました。この宣教標語は、定期教区会の主教告辞を基に、宣教活動推進部部長・グループ長の皆さんが聖書のみ言葉につなげて選ぶ聖句です。その聖句を基に、礼拝委員会が今年の聖歌を選曲します。そして信徒や聖職のお一人が宣教標語を揮毫してくださり、標語短冊がクリスマス前には出来上がり、教区報と共に皆様のお手元に送られます。短期間でのすばらしい連携(つながり)と対応に毎年感心させられ、感激し、感謝して受け取ります。
ここ数年の宣教標語には「道」という言葉が入っている聖句が多く選ばれています。この「道」は、キリストご自身が「道」だと告げられ、また最初のキリスト者たちが「この道に従う者」と呼ばれた「道」です。どの道ですかと尋ねたトマスと同様に、現代の私たちも「主よ、どの道でしょうか」と尋ね続けます。
恐らくその道は、私たちの想像を越えて与えられる道でありましょう。まるでアブラムとサライが目的地も分からずに決心して出立したあの旅の道のように、また、東方の博士たちが星に導かれて通ってきた道のように、そして同じ道を帰路にすると思っていたら、夢で天の御使いが告げる「別の道」のように、常に新しく未知のものです。当然不安に思います。けれどもこの北の大地で四回目の冬を迎えている今、これまでの新しい出会いや経験の恵みと喜びを思い起こす時、キリストに向かう新しい道を北海道教区の皆様とさらにこれからもご一緒できるなんて、本当に楽しみでしかない、と私は感じているのです。
主教 マリア・グレイス 笹森田鶴

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